心穏やかなあなたへ
今、願い事はありますか?
多くの人が、「こうだったらいいのにな・・・」という願いを抱えながら、毎日を過ごしています。
多くの人は、自分の「外側」に「幸せがある」と考えます。
「もっと、お金が欲しい。地位が欲しい。幸せが舞い込んできてほしい。あの人のように、いい思いができることはないだろうか?」
けれども私たちは、どこへ行ってもどんな立場になっても「内側」は変わりません。
「内側」が変わらない限り、どれだけ裕福になっても「欲望」が「増幅」していくだけで「幸福感」はあっという間になくなってしまいます。
では、「内側」はどうやったら変わるのでしょうか?
「内側」を変えたい時は、「潜在意識」を変える必要があります。
日頃、私たちの意識は、「顕在意識」「潜在意識」の二つからできています。
そして「潜在意識」を作り出しているのが、「前世人格」です。
ですので、「潜在意識」を変えるために、日頃どれだけ頑張っても「限界」があります。
「前世人格が、潜在意識を作っているってどういうこと?」
と疑問に思われた方は、稲垣先生のブログを読んでいただけるとよろしいかと思います。
先ほどもお話しましたが、「潜在意識」」を変えることには「限界」があります。
なぜなら、マイナス思考の「前世人格」を癒さない限り「潜在意識」は、マイナス思考のままだからです。
「前世人格」を癒していくことで、「潜在意識」が幸せを幸せと思えるように変化していきます。そして「あなたの人生」が自然と変わり出していくのです。
あなたは、まだまだ「未知の可能性」があり成長していきます。
もちろん、前世人格を癒したからといって、明確な目標があるのに何もしなければ何も起こりません。けれども、前世人格を癒すことで、いくら頑張っても「大きな壁」にぶつかって諦めなければならない状態に陥るということが、少なくなっていくと私は感じています。
「顕在意識」と「潜在意識」がタッグを組んだ時、「大きな力」が動き出します。
それこそ、個々人の潜在的なものですので「絶対、こうなる!」とは言えませんが・・・。
今回の霊信は、自分(前世)との対面の中で、
「自分のこの思い(思想)はどこから来ているのかを知り、癒していくことが大切なのではないだろうか?」
「対面することで、自分の生き方が自ずと見えてくるのではないか?」
と考えさせられるような霊信だと私は感じました。
SAM前世療法®
「SAM」とは、Soul Approach Method の略。
「魂へと接近する方法による」前世療法
SAM前世療法®は、岐阜県可児市今渡在住元教員である「稲垣勝巳先生」が創始された前世療法です。
私がこれからご紹介するのは、稲垣先生へ贈られた「霊信」です。
あなたには、まったく関わりないと思われるかもしれません。
しかし、人間の本来向かうべき「道程」があちらこちらにちりばめられています。
私自身の勉強を兼ね稲垣先生のご紹介を少しさせていただき、稲垣先生のブログをシェアしていきます。
2011年7月18日月曜日
第5霊信の公開その2
あなた(稲垣)は、肩の力を抜き始めている。
それでいいのだ。
あなた方は構えていては何も見い出せなくなる。もっと楽しみなさい。
これは「遊び」なのだ。
すべての計画はそうである。
だが、この世に存在する限りはあなた方はそれを理解できない。
そう、それでいいのだ。
あなた方はそこから離れ、ようやく悟ることができるのだから。
今日は、あなたは、M子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
私はあなたが最も求めるものである。
私が何か、あなたの直感で悟るだろう。
かしこまらずに、もっと肩の力を抜きなさい。
私はあなたの上にいるものであり、
下にいるものであり、
隣りにいるものであり、
そばにいるものである。
そして、あなたの目の前にいるものである。
そして、あなただけではなくすべてのものに対してもそうである。
だが、人々は私が自然なものなのだと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れるもの、そして救いを求めるもの、欲するもの、すべてのものは同じ平行線の上に立っている。
だが、人々はそのことに気づかない。
その場所が自分にふさわしくないと感じ、抜け出そうとするものもいる。
だが、その場所に立つことが必然であると分からないあまり、もし抜け出し別の場所に移動したと感じても、そう思い込んだだけで、あなた方の立つ位置は変わらないままなのだ。
(つづく)
注※ この送信者がなにものであるか、私の「直感」は「神」でした。
送信者は高級霊ではないと述べています。
そして、私の期待を裏切る訳ではないと述べています。
さらに、すべての計画は遊びであると言い放っています。
その存在は、私の上におり、下におり、隣りにおり、そばにおり、目の前にいる。
すべてのものに対してそうであるもの、すべてのものに遍在しているもの。
このような存在は「神」以外にないだろうと思われました。
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