「見えない世界からのサイン」を感じ取った経験はありますか?
多くの人が「偶然」かもしれないけれど、あれは「サイン」だったのではないか?
という経験が一度ならずあるのではないでしょうか?
SAM前世療法®のセッションを繰り返していくと、「サイン」と思えるような事象が多くなります。「絶対にそうなる!」とは言いません。けれども、クライアントのお話をお聞きすると「確かにそうかもしれないな。」と思うことが多々出てきます。
これは、何度となくセッションをされているご夫婦のお話です。
- 何百㎞も離れた場所から電話通話をしているのに、お互いが「2羽の白鷺」を見て感動した。
- 住宅街でも「白鷺を目撃する」ことが多くなった。
- 散歩していると「白鷺の群れ」をよく見るようになった。
- 「白鷺の大きな羽」を拾った。
- 「白鷺の綿羽」がふわりと自分に向かって舞い降りてきた。
- 二人で、嬉しい話をしていると「白鷺が足元から飛び立った」
- 二人で、旅行する先々で「20羽以上の白鷺の群れ」が出迎えてくれる。
- 県内で違う場所にいるのに「同じ虹」を見た。
- 高速道路をまたぐように虹が出ていて「虹のトンネル」をくぐって富山に帰った。
- 夫婦で一緒にいると「よく虹を見る」
- 2020年4月24日(金曜日)重大な決心をした時、大きな大きな「二重の虹」を二人で一緒に見た。
こんな不思議な事が起こるのでしょうか?
信じがたい話ですが、私は実際にご夫婦から「白鷺の羽と綿羽」を見せていただきました。「このご夫婦は、白鷺に見守られながら生活をしておられるのではないか?」とさえ思えました。そして、不思議だったのが「虹をよく見る」ようになったことでした。
「虹のサイン」で気づいた方も多いと思います。
「龍神」です。
「龍神」は、自分の存在を教えるために、「龍雲」「虹」「風」「雨」または数字の「8」を頻繁に目につかせる事で自分の存在を知ってもらおうとします。
龍雲や虹などのサインを頻繁に見かけるようになったら、それは龍神が近くにいるというしるしといわれます。
これは、「意識現象の一つ」ですので「信じる信じない」はお任せします。
ご夫婦は「龍神夫婦」です。
ご夫婦は「龍の前世」の時から仲のいい夫婦でした。
「龍の前世?」
と驚かれた方も多いと思いますが、SAM前世療法®北陸ではよく「龍」の前世人格が顕現化します。クライアントが、まったく「龍」に興味がなくても顕現化することが多々あります。ご主人も「スピリチュアル」が嫌いな方でしたので、当初「龍」の前世人格が顕現化した時は怪訝な顔をされていたのを覚えています。
奥様の話では、ご主人は「真面目で怒りっぽい性格」で、はじめのころ「サインには興味がなく」奥様の話を話半分に聞いておられたようです。セッションを繰り返したとき、だんだん性格が穏やかになり、ご主人も、不思議な出来事に遭遇する場面が増えてきて「確かにサインはあるのだろう」と話されるようになったそうです。
それから、お二人に向けて「サイン」が来るようになったのだと言います。小さなことの連続ですが
「これは、サインだね。吉兆だ。」
と二人で散歩をしながら話しておられるそうです。
嬉しそうに話される奥様のお顔を見ながら、私は「何気ない日常の幸せ」を「幸せと話し合える関係」は素敵だなと思って聞いていました。
今回の霊信は、このご夫婦の姿を思い出し「なるほど!」と思う霊信でした。
SAM前世療法®
「SAM」とは、Soul Approach Method の略。
「魂へと接近する方法による」前世療法
SAM前世療法®は、岐阜県可児市今渡在住元教員である「稲垣勝巳先生」が創始された前世療法です。
私がこれからご紹介するのは、稲垣先生へ贈られた「霊信」です。
あなたには、まったく関わりないと思われるかもしれません。
しかし、人間の本来向かうべき「道程」があちらこちらにちりばめられています。
私自身の勉強を兼ね稲垣先生のご紹介を少しさせていただき、稲垣先生のブログをシェアしていきます。
2011年7月19日火曜日
第5霊信の公開その3
今、これを読みながらあなたは「何を言おうとしているのかよく分からない」と考えているだろう。
これを「抽象的な表現」として受け取っているだろう。
この世界ではそうだとしても、それが真実なのだ。
物事の本質がどんなものか、あなたは分かるだろうか?
素直に感じるもの、
シンプルに表現できるもの、
あなたが複雑でないと感じるもの、
困難でないと感じるもの、
それらは本質的なものを多く見い出せるものである。
物事は本質的なものと二次的要素、そして三次的要素、そうやって細分化されていく。
だが、どんなものも、その中心はすべて同じものなのだ。
日常的な生活に目を向ける必要性も同じである。
霊的なものでなければ、情報を与えないと限定するのではなく、
あなたを中心として取り巻くすべてに対して「啓示である」と考えなさい。
ある一定の分野だけが一人歩きすることはないのだ。
すべてのものに対し、あなた方の持つ最善のものを与えなさい。
あなた方が判断を下し、そのときの最善なものを選択するのだ。
(つづく)
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