暗い話です
苦手な人はスルーしてくださいね
(o^―^o)ニコ
3年前我が家では色々な事が起きました。
今があるのは、
義母、、祖父母のお陰 両親、
叔父夫婦のお陰多くの方のお陰です。
記事「自分を見直すいいチャンス 吹っ切れたら笑顔がこぼれた。」 に
義母と主人の話を少しずつ書いていこうと思います。
興味のある方は、読んでみてくださいね
感情移入しそうなので名前は変えてあります。
主人 あきら
わたし 志保
~3話~
志保の過去
志保の父は、出来ちゃった結婚で一人娘の母の家に婿養子となった。生まれたのが志保だ。志保の父は、3人兄弟である。一番上の兄が起こした空調会社に勤めていたが、1994年10月、3億の借金をして倒産した。ある日突然、叔父夫婦は年老いた両親を置いて東京へ夜逃げした。
父は、家以外の土地・田んぼを担保に2000万円の連帯保証人となっていた。叔父夫婦は、取引先の会社からも何百何千万円と借りていたらしく、お金を貸した取引先の社長が家に来ることもあった。
「今日、夢見たんや。あんたの所いったら、お金返ってくるってお告げがあったがいちゃ。会社大変で困っとるが。たのん。お金返してくれんけ?。良かったら、これ食べて。」
と言って、まだ寒い時期に大玉のスイカを置いていった。祖母・母・志保3人は、その時誰も何も言えなかったし、父は留守だった。3人で取引先の会社へ行きスイカは丁重にお返しした。
高校受験を控えた志保は、友人や先生に悟られないように平静を装った。家へ帰れば、混乱している母と祖母をなだめる仕事が待っていた。生きた心地がしなかった。志保は、当時の記憶があまりない。きっと、心のどこかに隠しているのだろう。
父は、普通に働いていては借金どころか生活出来ないと判断をし看板をあげず、取引会社の修理をして生計を立てた。朝5時から働き、夜中の2時を過ぎることも少なくなかった。富山冬は、今でこそ雪も少なく過ごしやすいが、当時はあっという間に雪は降り積もり70cmくらいは楽に積もっていたように思う。そんな時、決まって井戸が凍った・水が出ないと電話が入り時間に関係なく父は家を後にした。
母は、現実に耐え切れず病になった。嘆く祖母。父は、工事現場から落ちて骨折をした。志保は、高校へ行きながら父の手伝いをするようになった。
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