3年前我が家では色々な事が起きました。
今があるのは、
義母、、祖父母のお陰
両親、叔父夫婦のお陰 多くの方のお陰です。
義母と主人、私の話を 少しずつ書いていこうと思います。
感情移入しそうなので名前は変えてあります。
主人 あきら
わたし 志保
~5話~
身代わり
2000年10月あきらと志保は結婚式を挙げた。二人の子宝にも恵まれた。それから13年後、二人は紆余曲折しながらようやくマイホームを建てた。その2年後である。叔父が神妙な顔でやってきたのは・・・・。
「あきら、お前お母さんに会いたくないか?がんで、後3か月の命らしい。」
叔父の一言から始まった。あきらと志保は、面食らって言葉を失った。一度もあった事の無い義母に孫の顔を見せてあげたいそんな思いから、志保はあきらに
「可哀そう・・・。会ってあげたほうがいいよ。どうするが?」
「・・・・・・。」 あきらは、沈黙を守った。
叔父は、母が所有している事を二人に告げた。隣町だった。家から車で数分の所である。
「家に二軒もいらんやろう。建てたばっかりやしの?」
というので確かにそうだと二人は答えた。
「色々荷物あるけど、この家にはいらんからいらんやろ?」
というので確かにそうだと二人は答えた。若い二人だけで建てた家である決して大きいとは言えない家だった。
「なら、そう言って伝えておくから。」
と言って叔父は帰っていった。
志保は、あきらに母に会うように勧めた。あきらは、やはり返事はなかった。息子が生まれた時も、見せに行こうと何度も言ったがあきらは首を縦には振らなかった。あきらの生い立ちを思うと何も言えなくなった。あきらの思いを尊重したいと思ったからだ。
二ヶ月ほどして、叔父から連絡があった。義母に会って話をしないかと・・・・。あきらは、二つ返事で叔父の誘いに応じていた。
義母の家
叔父に連れられて義母に会いに行った。志保は、唖然とした。何故なら、この家を知っていたからだ。以前、マイホームを夢見ていた時、道に迷ってこの家を見つけた。志保の理想の家だったので眺めていたのだ。そして、義母の寿命をしってから義母に会いたくて子供たちを連れて家を探していた時、まさかこの家にいないよね~。とやっぱり気になっていた家だった。ただ、志保は自分と同じ名字を探していた。離婚をして、名字が変わっていると知らなかったのである。
40年ぶりの再会
10畳の畳の屋に介護用のベットが置いてあった。もたれかかるように座って義母は待っていた。
義母は、とても細く座っているのがやっとだった。髪の毛が抜けているのだろう、頭にスカーフをまいていた。叔父が、家族を紹介してくれた。沈黙が続いた。娘がニコニコと何かをし始めた。助かった。そこから会話が始まった。あきらは、黙ったままだった。
異 変
義母にも会え、良かったと思ったのもつかの間。志保は、四六時中「死にたい!!」と思うようになったのだ。心の中で、ずっと繰り返し叫び続けた。「早く、死にたい。早く、死にたい。」志保はわけがわからなかった。こんな事を今まで考えたことが無かったからだ。義母の家に行きたいが、自分自身がこの状態である。仕事を終えて家へ帰るのが精一杯だった。志保は、仕事の疲れやストレス・義母の事で精神的に参っているのだと思った。母が亡くなるまでこの状態が続いた。
身代わり
志保は、月に一回天照大御神様が守護されている先生の所へいき体を清めてもらっていた.祝詞をあげてもらうと体がスッと楽になり、心も叫ばなくなった。心が、明るくなった。
「義母に会ってから、ずっと死にたいって思っていて・・・・。こんな事おもったことなかったんやけど・・・・。祝詞あげてもらったら全くそんなこと思わなくなって・・・。」
志保は現状が飲み込めなくて戸惑いながら話した。
「いいことしたね。お母さんの辛い思いを、志保ちゃんが半分背負ってあげてたんやよ。だから、お母さんちょっと楽やったんじゃないかな?」
といった先生の目には涙が溢れていた。志保は、義母に何もしてあげれない事を悔やんでいたが少し心が軽くなった。
けれど、葬儀からの叔父の言動が、どうも気になって仕方がなかった。
0コメント