園児、保育園を脱走 ~1話~ 


  

暗い話です

苦手な人はスルーいてくださいね。


3年前我が家では色々な事が起きました。

今があるのは、

義母、、祖父母のお陰

両親、叔父夫婦のお陰多くの方のお陰です。

記事「自分を見直すいいチャンス 吹っ切れたら笑顔がこぼれた。」

に少しここに至るまでのいきさつが書かれてあります。


義母と主人の話を少しずつ書いていこうと思います。

興味のある方は、読んでみてくださいね。


感情移入しそうなので名前は変えてあります。 

主人   あきら

わたし  志保






~1話~

義母の余命宣告

「あきら、お前お母さんに会いたくないか?がんで、後3か月の命らしい。」

叔父の一言から始まった。主人と私は、面食らって言葉を失った。一度もあった事の無い義母に孫の顔を見せてあげたいそんな思いから、主人に

「可哀そう・・・。会ってあげたほうがいいよ。どうするが?」

「・・・・・・。」

主人は、沈黙を守った。






主人の過去

 あきらは、ちょっと複雑な家庭環境で育った。両親は、あきらが幼少期の頃に離婚をした。女で一つでは生活が出来ず、あきらは父のもとへ返された。父は、すでに再婚していた。色男で離婚の原因も、新しい女を作ったためだったらしい。仕事の虫でもあった父は家には帰らなかった。あきらは、2番目の母と新しい生活が始まった・・・。当時3歳である。


 あきらの生活は一変した。あきらが冷蔵庫を開ければ、2番目の母に耳を思いっきり引っ張られ、つねられる。足の親指の爪がはぐれて痛いと言っても舐めておけば大丈夫と言うだけ。一緒にいれば、怒鳴られる日々だったという。あきらは居場所が無いので、夏も冬も関係なくいつも階段か外で遊んでいた。弟(2番目の母と父の間に出来た子供)との育て方の違いは激しく、親子という感覚は無かったという。


 ある日、あきらは何を思ったのか保育園を脱走した。

「園児が歩いてどうやって行ったのか見当もつかない。」

と大人たちは口々に言っていたが、あきらはそっちのけで遊んでいた。原因は、保育園んでトイレをしたくないからだった。なかなか度胸のあった子供だったのかもしれない。


 2番目の母との生活は続いた。父に、祖父母の家に連れて行ってもらった時の事である。帰ろうとした父を後ろにあきらは柱にしがみついていた。祖父母が、父の所へ返そうとするとあきらは、柱から離れず「嫌だ!!」と言って泣いた。祖父母は、哀れに思ったのだろう、あきらをもう少しここにとまらせてやったらどうだ?と父をなだめ帰した。それから、23年、あきらは祖父母の家で育てられた。






父は長男

 祖父母の家は、父の弟夫婦が跡を継いでいた。小さい家だったが、七代続く職人の家だ。その長男である父は、家を飛び出し自分で店を構えた。気づくと、新しい女性が父の横いる。父は、3回目の結婚をしていたのだ。45年前、片田舎で起こった話である。現在とは違い、長男が跡を継ぐのは当たり前。結婚したら、一生添い遂げるのが当たり前の時代だった。破天荒な父に、周りはどれだけ度肝を抜かれただろうか・・・・。想像もつかない。





祖父母・叔父夫婦との生活

 あきらは、祖父母・叔父夫婦のもとで育てられた。叔父夫婦には、子供がいなかった。10年ほどしてから子供が3人生まれた。叔父夫婦は、出来るだけ分け隔てなく育てるよう努めてくれたらしい。3人ともあきらになついていた。それは、今でも変わらない。優しい兄弟だ。


 けれども形見の狭い生活は続いた。学校行事はいつも祖母が見に来てくれた。家で仕事をし、祖父母・叔父夫婦・3人兄弟のいとこ総勢7人家族が住む家は狭かった。いとこには部屋は与えられていたが、あきらの部屋といえば、明り取りのために作った畳4畳の程の廊下。もらい物の勉強机だった。もし、父が離婚をせず家を継いでいたなら、跡継ぎである長男あきらの人生は全く違っていただろう。











リラクゼーションサロン SAM前世療法®北陸【富山・石川・福井】

「SAM」とは、Soul Approach Method の略。「魂へと接近する方法による」前世療法です。 創始者稲垣勝巳先生は元々学校教員です。「教育催眠」という分野で長年ご活躍され、ある特殊な催眠事例である『タエの事例』と『ラタラジューの事例』に出会われたのをきっかけに独自の催眠技法である「SAM前世療法」を編みだされました。2006.2010年テレビ番組「アンビリバボー」にて特集されました。