朝起きて、インスピレーションでこれが浮かんだので書きますね。
ちょっとした、マメ知識と思っていただければ幸いです。
魂の段階を経て人は「魂の追求」をしていくそうです。
魂の段階
1.唯物論の段階
2.迷信の段階
3.根本主義の段階
4.哲学の段階
5.「迫害」の段階
この5段階を経ていくのだそうです。
何度も生まれ変わりを繰り返すことで、
子供のような自己中心的な人格から青年期の人格んへ、器の大きい円熟した人格へと高めたり技術や才能を向上させる事を目的とするカルマを乗り越えていきながら、成長していくのだそうです。
1.唯物論の段階
物質的な幸福を追い求め、肉体的快楽の熱望に支配された状態。他人の感情にほとんど関心がなく哲学的目標は皆無にひとしい。死後のことや、いかなる種類の究極の力も認めない。
2.迷信の段階
自分自身より偉大な力や実在があることに初めて気づく。この全能の力について実質的には何も知らない。どうやらお守りや儀式などでしか制御できないものがあるらしい、と認めている。相変わらず唯物論的な生き方が支配的である。
3.根本主義の段階
神とか全能なるものについて、単純で迷信的で型にはまった考え方をし、それが生活の基盤となっている。儀式につきもののお祈りや、ある態度や行動を実践すれば、究極の報い~天国とか死後の地位~が保証されると信じている。
4.哲学の段階
自己の責任に目覚めたばかりの段階。宗教的信念を持ち続けてはいるが、協議に依存するだけでは不十分だという認識がある。この段階の特徴は、生命を尊重し他人の信念に対して寛容であり、既成宗教の教義を深く理解している事である。
5.「迫害」の段階
人生の隠された意味とは何かを理解したいという強い願いから生じる、内なる緊張と怒りが頭をもたげる。存在の深い意味と目的に気づくが、どうすればそのような知識を得られるのか、はっきり確信が持てない。答えを探求するために多くの本を読み、研鑽を深め、書く種の神秘学などのグループに加わったりすることが多い。「迫害」の名称はキリストの山上の垂訓、「義のために迫害される人は幸せである」(「マタイの福音書」五章十節)からとった。
J・Lホイットン他著「輪廻転生 驚くべき現代の神話」より抜粋
よかったら読んでみてくださいね。
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